一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

serendipityに期待して

平成18年4月28日掲載

田中 宏樹

住友軽金属工業株式会社
研究開発センター
主任研究員

 

 “serendipity”という言葉を題材にしたエッセイを以前読んだことがある。その記事を切り抜きしていなかったので詳細は忘れてしまったが、予期していなかった好結果を導き出す(あるいは見抜く)才能であるという趣旨であったと記憶している。辞書には「掘り出し上手」という訳も見受けられる。そのエッセイを読んで以来、すっかりこの言葉が気に入ってしまった。職業柄、いろいろな実験を行うが、通常は想定内の結果に終わることが多い。そのような中で、「予期していなかった好結果」が得られた経験をお話ししたい。

 入社以来、アルミニウムに関する研究開発に従事していたが、ある時期、研究職を4年間離れることがあった。この4年間に、営業活動やアルミニウムとは全く関係のない海外の技術者をビジネスパートナーとするなど、とても貴重な体験をした。ただ、自身の研究履歴としては空白の期間であった。

 その後研究職に復帰して、まずNEDOプロジェクトのスーパーメタル技術開発を担当することになった。本プロジェクトの目的は、結晶粒径3μm程度の微細粒組織創製技術を開発することにあった。前任者が7475系合金を用い、種々の圧延条件を検討したところ、350℃前後で温間圧延すれば溶体化処理後も3μm程度のサブグレイン組織が維持されることを見出していた。筆者はまず、前任者の再現試験を行うこととした。当然簡単に再現できるものと思っていたが、自分で作った板は溶体化処理後にパンケーキ状の粗大粒組織を呈したのだった。
 
 一回目の試作結果は、周りに黙っていた。なにか製造条件が違っていたのだろうと考え、もう一度前任者に工程を確認して試作を行った。そのミクロ組織を見ると、またしてもパンケーキ状の粗大粒組織となり、前任者が作った板とは似てもにつかないミクロ組織になった。さらに三回目の試作結果も同様であった。おかしい。実験の腕前が落ちたのか?少々、自信喪失気味になってしまった。

 プロジェクトの日程的な問題から、これ以上再現試験に失敗している訳にもいかず、前任者にもう一度微細粒組織を有する板の試作をお願いした。ところが、この試作材も溶体化処理後は見事なパンケーキ状粗大粒となり、前任者がショックを受けることになった。自分の腕前のせいではないとわかったとたんに、この原因を突き止めてやろうと闘志がわいてきた。

 これまでの実験を振り返ると、前任者が微細粒組織形成に成功した時期が7月で、筆者が再現試験を始めたのが11月下旬からであった。いろいろ思案したが、この試作タイミング以外には、実験条件としての違いは見出せなかった。最終的に、試作時期-雰囲気温度-ロール温度が影響しているのではないかといった考えに至った。しかし板とロールの接触時間がたかだか十数ミリ秒なので、ロール温度がそれほど影響するのか懐疑的な思いもあった。悩んでいても仕方がないので、取りあえずロールを暖めて試作をしてみた。結果は見事に微細粒組織となったのであった。

 ミクロ組織以外にも、この温間圧延材には特異な特徴が見られた。その一つが集合組織である。溶体化処理後も圧延集合組織が維持され、さらにその方位密度が通常の冷間圧延を施した場合よりもはるかに高い値を取ることである。

 この集合組織データが頭にあったためか、引張り試験の際に何気なくランクフォード(r)値を調べる指示をした(正確には、~したようだった)。7475系合金は絞り加工などをするような成形用材料ではないため、r値に注目することはあまりない。報告されてきたデータを見て、これはありえないと口にした。45°方向のr値が3を越えていたのだった。アルミニウム板材でr値が1を越えることすら難しいと言われてきた中で、一方向でも3を越える値を示していることは俄に信じられなかった。この件も周りには黙って再試験を行ったが、やはり45°方向のr値は3を越える値を示した。もう黙っていることは耐え難かった。

 スーパーメタルの当初の予測として、微細粒化による強度向上は期待できたが、r値の改善は全く予期できなかった成果である。今にして思えば、serendipityなる能力が作用した結果であったと考えている。このスーパーメタルの研究成果が、現在の高成形性自動車用板材開発プロジェクトへの展開の伏線となった。今もserendipityなる能力に期待して、実験を行う日々である。

 
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