一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

雑  感

平成16年3月1日掲載

池野 進

富山大学工学部物質生命システム工学科
教授

 

 小生の研究室は感慨深い歴史を持っている。終戦後、満州から引き上げて岡山の片田舎で中学教師をやっていた父を旧北陸軽金属(株)に呼んでくれたのが当時富山大学工学部金属工学科の教授であり、すぐに東京工業大学に転任された森永卓一先生であった。森永先生の後は室町繁雄先生が継がれた。室町先生は30有余年にわたる教授生活を振り返られ、「本当は北海道に行くはずだったのに森永先生の至上命令で富山に来てしまった。」と述懐しておられたものである。富山に来た当初、保育園児であった自分が富山大学に進学し、森永先生が開かれた講座に所属し、室町先生のお世話になるとともに、将来その講座を引き継ぐことになるとは夢想だにしていなかった。縁あって26年前に富山大学に赴任して以来、アルミニウム合金のうち、特に6063系合金に強く惹かれたのは、今にして思うと、生存中の父がアルミニウム板材の圧延加工に精力を注いで森永先生の元で博士号を取得した後、社運をかけてアルミニウム押出しに乗り出した姿を見ていたからだと思われる。父のそれとない述懐を思い出してみるにアルミニウムサッシが社にとって優良児であったことはほとんど無かったように思われる。原価償却の終わった古い器物の製造工場が黒字を担ってやっとの事で辻褄を合わせていたように記憶している。優良児だった器物もアルツハイマー騒ぎのせいか、閉鎖してしまったのは残念に思われる。

 ここまでアルミニウム合金をいろいろ扱ってきたが、バブル崩壊後、富山県の各種委員会、審査会に出席するたびに強い要望を受けて困っていることがある。富山県はアルミニウム産業が盛んなところであり、県の40%に相当する部分を担っているという。県にとってアルミニウム産業の浮沈は県そのものの浮沈に直結するわけであるが、起死回生の特効薬が見つからない。そこでアルミニウム研究者である小生に「アルミニウムそのものに新しい付加価値は付けられないか?」という質問とも難詰ともとれる言葉が投げかけられる。たとえば銅のように殺菌作用があるとかマグネシウムのようにマイナスイオン発生に非常に有効であるとかいった、アルミニウムそのものを何の手も加えずに売り出す方策を教えてくれと言うのである。県の役人が言うように確かにアルミニウムは精錬から撤退し、品質管理でやっとの事で息をついたと思うとバブル崩壊でリストラに追い込まれ、何とか回復基調にあるとはいえ、今後も厳しい価格競争からは抜けきれないであろう。このままではいずれ東南アジア等への傾斜が大きくなり、富山県の空洞化現象が激しくなる。富山県民の未来のため、どなたか良い答えを教えて貰いたいと切望する。

 翻ってみると、このような問いかけは良くあるともいえる。6063合金の優れた加工性を保ったままで強度を上げたいとう素朴な問いかけをされる。この種の質問に対して答えは非常に辛いものがある。種々の元素を添加しているうちに6063とはとてもいえないような材料とならざるを得ないからである。6063は生まれも育ちも6063であり、自ずから限界はあると答えると6063の将来性に暗雲が立ちこめないかと不安になる。まるで孫の行く末を案ずる祖父のような心境である。

 考えてみると高温超伝導で日本全国が狂騒状態となり、皆が新しい文明社会の夢を見たときに、熱に水をぶっかけブームの終演に躍起となったのは心ある研究者達であった。今でも鮮明に覚えているが、某企業がフイルムに酸化物超伝導物質を貼り付け何度折り曲げても超伝導現象が発現するという発表を応用物理学会と日本金属学会で一週間の間をおいて行ったことがある。応用物理学会では何度繰り返したか、後何度持つかという熱い応答が飛び交った。同じ発表者に金属学会ではセラミックスが激しい変形に耐えられるわけがない、実際は割れてくっつくという現象を繰り返しているのみであり、材料として使い物にならないという厳しいコメントとなった。発表者はしょんぼりしており、この方面の研究をやめようかという態度であった。応用物理学会にも金属学会と似た対応を取る大学関係の心ある研究者達が見られた。おかげでブームはあれよあれよという間に終わり、夢も消えてしまった。心ある研究者達はそれぞれ功成り名をあげ、助教授が教授になり教授はどこかの所長になったりしたが超伝導そのものは一部のマニア的プロのみが続ける研究と形を変えてしまった。

 自分も時として心ある研究者となっているように思われて内心忸怩たる思いをするときがある。せめて軽金属学会は一部プロのものではなく、夢を見て果敢にチャレンジする若者達を育む学会であって貰いたいと願う。

 
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