一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

人のつながり

平成19年11月1日掲載

岡本 一郎

グループ技術センター
執行役員
グループ技術センター長

 

 “Ca va bien? (元気?)” これが始めて私に投げかけられた生のフランス語でした。もう20年も前の出来事です。今でもカナダ ケベック州のとある工場の受付での光景をありありと思い出します。

 私に海外赴任の話がふってきたのは確かそれをさかのぼること2~3ヶ月、夏の盛りの頃でした。その頃弊社ではカナダの会社と資本関係があり、定期的に英語圏の研究所や工場へ技術屋を送っていました。ある日、上司から 「岡本、ワークビザが取れたら海外に赴任してもらうぞ」 と声がかかりました。ちょうど現場を油まみれになって這いまわっていた頃でした。ちょっと気分転換にいいかなぐらいの乗りで 「わかりました」 と答えたのですが、上司はもう一言こうつけ加えるのです。「ひとつだけ問題がある」 「えっ?」 「今度赴任してもらうところは先輩達が行ったところじゃない。フランス語圏だ。おまえ、第二外国語は何やった?」 「もちろんドイツ語です。おまけにおまえは成績がいいからもう一年がんばれなんていわれて3年でやっと単位とった筋金入りです。」 「う~ん…」 途方もなく長い沈黙があったように記憶します。「岡本、世界地図あるか?」 慌てて本棚に探しに行きます。 「あのな、ここがアメリカ、ここがカナダ。カナダの中でもケベックだけがフランス語圏。ぜーんぶ地続きだ。たとえば、日本全国が英語で、愛知だけがフランス語だとする。愛知の人は英語もわかるよな。とーぜん。」 かなりお気楽な説明をしてくれます。 「とにかく、これからおまえをフランス語教室へ行かせる余裕はない。手続きをすぐ取り、引継ぎして、直ちに出発しろ。」 猫の子じゃあるまいしかなり乱暴な話をのたまうのです。

 瞬間的に 「おもしろい」 と思ったものの、冷静になると1歳になったばかりの娘を抱え、どうなるんだろうと若干不安を感じます。救いは、女房も私と同じくかなり楽天的で、天から降ってきた海外旅行の話と勘違いし喜んでいることでした。私はといえば、初めて飛行機に乗ったのが会社の就職前研修、初めて海外に出るのがこの機会という純国産ですから、全くイメージが湧かずとにかく 「なんとかなるさ」 とやけくそで開き直るしかありません。

 結局、引継ぎと諸手続きであっという間に時間は過ぎ、フランス語の 「フ」 の字も勉強しないまま機中の人になりました。飛行機に中では 「楽しいフランス語会話」 という新書を握り締めてはいましたが、初めて乗る国際線のワインやビールの誘惑にあっさり負け、あっという間にケベックに着いてしまいます。そして、冒頭のシーンへ…。

 「楽しいフランス語会話」 に書かれているカタカナの 「ボンジュール」 や 「コマンタレブー」 が通用するはずもなく、もうへらへら笑うしかありません。 ニコニコしながら “Ca va bien?” と話しかけてきた人は 「おまえ、本当にフランス語を勉強しなきゃだめだな」 と急にフランス語訛りの英語でいい工場の中へ消えていきました。

 当時のケベックは独立運動こそ少し下火になっていましたが、まだ根強く、特に私の赴任した地域には殆ど英語圏の人たちはいなくなっていました。赴任前に上司から 「もしみんなフランス語しか話さなくても大丈夫。技術用語は万国共通英語だから…。」 ともいわれていましたが、とてもとても。彼らはわざわざ英語で習った技術用語をすべてフランス語に切り替えて使う周到さです。世界地図で見た小さなケベック州が実は日本の面積の4.5倍だったり、住んでいた町から一番近い都会がケベック市で約250k。町外れの信号を越えれば、次の信号はケベック市の外れ。森林の中をすっ飛ばしていくような環境です。普通の人が英語でしゃべらねばならないという必然性などどこにもないのです。

 周りに日本人は全くおらず、フランス語のわからない家族が3人。それでも私達家族には 「大変だった」 より 「おもしろかった」 という言葉がぴったりきます。ボディーランゲージの習熟・面の皮の発達などを遂げながら、日々新しい発見の連続を結構楽しんでいました。

 いろいろなことがありました。圧倒的な大自然、川も凍る零下30℃の世界、ウィンドウォッシャーが一瞬にしてデンドライトに変わる神秘、両側が凍っているにも関わらず発電を続けるダムの不思議。また厳しい冬があるだけに短い夏は譬えようのないくらいすばらしいものでした。お話したいことはたくさんありますが、また別の機会に譲りたく思います。

 あれから20年、あれだけ努力したフランス語も再び 「楽しいフランス語会話」 の世界に戻ってしまいました。そして残っているのは友達になったすばらしい人たちとの思い出です。彼らの顔を思い出すにつけ、結局最後は言葉ではないということを強く感じます。人間の心と心は言葉がわからなくてもしっかりとつながっていきます。人に対するやさしさ・思いやりの心そして笑顔は万国共通の最も大切なことばなんだと体でわかったことが今の私たちにとって最高の宝物のように思います。

 
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