一般社団法人 軽金属学会

  • お問い合わせ
  • English

エッセイ

進化する人工知能に対する恐怖と期待

平成28年9月1日掲載

小山 克己

株式会社UACJ
技術部主幹

 

 現在、第3次人工知能ブームと言われている。深層学習と機械学習の技術の進展が鍵のようだ。グーグルが開発した“アルファ碁”が囲碁のプロ棋士を破り、IBMの“ワトソン”は豊富な知識を活かして適切な回答を返してくれる。囲碁も会話もキャッチボール。相手の指し手や言葉に、速やかに応答しないと成立しない。無数の組み合わせから最適な指し手や言葉を一つだけ選び出すことは難しい。高性能コンピュータでも頭の回転の速い人でも、悩みだしたら間に合わない。人は真似ることで学習し、エピソード毎の断片として記憶する。場数を踏むと、局面毎の対処法が記憶として蓄積される。学習が進めば、脳内に神経回路(ニューラルネットワーク)が生まれ、指し手や言葉が反射的に浮かぶようだ。逆に、想定外の場面に遭遇すると緊張と相まって頭の中が真っ白になる。学習過程の詳細は分からないが、脳を模擬した人工知能(ニューラルコンピュータ)も、同様の学習をしているようだ。第3世代の人工知能を持つ“アルファ碁”や“ワトソン”は、一世代前のニューラルコンピュータより深い階層を持ち、3000万局を超えるトッププロの指し手やインターネット上の無数とも思える言語情報、いわゆるビッグデータを機械学習で吸収した。人間の子供に根気よく教えることは難しく、さらに少年老い易く学成り難い。人間の場合、囲碁のプロ棋士に誰でもなれるわけではない。継続は力。たとえ能力の低い人工知能でも、自己修理を繰り返しながらコツコツ学習を続ける機械の姿を想像すると脅威でもあり、映画“ウォーリー”のようないじらしさも感じる。ちなみに、”ワトソン”は1秒間に8億ページの情報を読み取る能力を有する最新型だ。

 第3世代の人工知能は、自動車の自動運転、工場の生産管理あるいは人型ロボットへも適用されている。これら技術における情報のキャッチボールの相手は、センサーを通した外部状況だ。刻々と変わる外部状況の複雑さに応じて、センサーの数も増える。自動運転では位置や距離、速度や方向などの情報が、生産管理では少なくとも製造装置の状況を把握するための情報が必要だ。ボールを逸らすと事故になる。ベテランの運転手やオペレータは、操作マニュアルにはない想定外の事態を経験する。事故や異常を回避するため、人工知能は予兆を探るとともに、極稀に発生する局面(飛び出し、天災や故障)に対する想定学習を行う必要がある。一方、人型ロボットやアンドロイドでは、人間的行動や反応が求められる。そのため、人間が持っている五感に近いセンサーを取り付けたくなる。調べてみると、体を構成するおよそ37兆2000億個の細胞を統制する内なる自律神経系とともに、これを外部から守るための五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触感)が備わっている。視覚を担う目には約1億3000万の光の受容体があり、ある程度の処理を行った後、約100万の神経線維を通して電気信号が脳に送られてくる。耳には約15,000個の音の振動を感じる有毛細胞が、鼻には4000万個の嗅覚受容神経が、舌には約10,000個の味を感じる味蕾が、また皮膚には300万の痛点、50万の触点、25万の冷点、3万の温点があり、これらも神経線維を通して電気信号が脳に送られてくる。おそらく寝ている間も送られてくる五感のビッグデータは、重要度を評価するフィルターで濾され、その多くが数十秒で消えていく。引っ掛った情報は反射的な危険回避のトリガーとして働くとともに、脳の中で意識にのぼり認知され、対応指令が出される。多くの人は視覚が最も重要な外界情報の窓口だ。モノの位置を文字通り目測するとともに、危険の有無を確認する。人間の視線は自然に顔を探し、すばやく相手が敵か味方かを判断するとのこと。また、感情によって変化する顔の特徴や口調などの人の“情動”を目や耳で捉え、相手の感情、喜怒哀楽を推し量ることができる。集団生活で不可欠な技術として、幼児期に習得するようだ。人型ロボットでは視覚や聴覚に相当するカメラやマイクで相手の情動を読み取り、人工知能により喜怒哀楽を認知した上で反応を選択し、スピーカの音声、眉や口の形、首や手足の動きとして相手に返す。まさに人間とキャッチボールをすることになる。アニメーションの鉄腕アトムも誕生時には人間の赤ちゃんと同様に何もできなかったが、愛情溢れる教育訓練によって人間的なロボットに成長する設定だ。転ばないような身体の動き、会話をするための言葉とともに、親しくなるための人間の情動を学習した。パワーは低く抑えられているが、同様な学習が人工知能を有する様々な人型ロボットで実際に試みられている。相手の感情をメンタリストのように正しく認知し、適切な反応を返すと、あたかもロボットに感情が宿ったように感じられるようだ。ここでの反応は、人工知能に与えられた情報によって形成される。様々な場面における特定の人の言動や情動だけを学習すると、その反応には個性が宿る。その人に模したアンドロイドを用いた場合、癖を知る身近な人ほど、あたかもその人の人格が乗り移ったように感じるかもしれない。癒しやセラピーとして有用ではあるが、あくまでも恣意的な行為であると考えると少し寂しい。

 人間の脳は奥深い。心の中には自然と湧き上がる感情なるものが確かに存在する。感情は掴みどころがなく、その情動は隠しきれない。感情は大脳の下部にある古い脳が支配しているといわれている。進化のどの段階で出来上がったかは分からないが、喜怒哀楽のほかにも多彩な感情が知られている。欲望や恐怖は生物が生き延びるために必要な感情と思われる。一方、如何にも人間的な恥や空虚、怨みや妬みは何の役に立つのだろうか?この古い脳の感情の高まりは、新しい脳の判断を狂わせ、場合によっては脳全体を破たんさせる。少なくともネガティブな感情は人類には不必要とも思われる。今話題の小説「コンビニ人間」では、死んだ小鳥を悲しむ友達とお墓を作ってあげつつも、焼き鳥にしたいとの強い思いを抑える少女が主人公だ。世の中から異物と見られて排除されないように、接客マニュアルが整っているコンビニの店員を長年演じるうちに、コンビニ人間が出来上がる。世の中には感情を押し殺して、○○人間を演じている人もいる。近い将来、外見だけの○○人間は、おそらく人工知能を有する人型ロボットに職を奪われてしまうだろう。その一方で人工知能が○○人間の本来の感情をも見抜き、最適な就職先についてアドバイスをくれるようになるかもしれない。

 今後、どこまで脳の仕組みが解明されるのか?どこまで脳は進化するのか?そして、人工知能はどこまで脳に近付けるのか? 脳の理解が進み、人工知能にも感情がインストールできるようになっても、怒りや憎しみなどのネガティブな感情のオプションは開発禁止として頂きたい。また、合理的判断と整合しなくても、人工知能は感情に流される弱い人間を支える存在としてのみ、進化・発展することを望みたい。

 

 

 
PAGE TOP