一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

研究の拡がり

平成27年5月1日掲載

高山 善匡

宇都宮大学
教授

 

 早いもので、卒業研究という研究の入口(とも言えないレベルだったかもしれないが)に立ってから三十数年になる。さまざまな外的条件はあるものの自分で研究テーマを選べる身分を得て、自分なりに「研究の拡がり」を考えることも多い。一般的に言えば、拡がりのあるテーマが良いように思うのだが、別の視点もあるかもしれない。

 研究というものを職業の重要要素とさせてもらっている身ならば気づかされるものだが、研究対象となっている各分野は決して同じ程度に研究されている訳ではない。高校までの教育で、「教科」が設定され、国語、数学、理科、社会、英語、主要5教科それぞれ多少の差はあるものの同程度の深さで学ぶことを当然と受け止めてきた。この前提があるために、大学に入学しても、各講義はちょうど5教科と同じように同じボリュームと同じ深さを有しているかのように受け止めていたように思う。しかしながら、学問にはそれぞれの分野に異なる拡がりと深さが存在し、時間とともにそれが変化していくものであることに気づく。

 私が大学に職を得たころ、我大学工学部の情報工学科が発展期にあり、設置時に比べ学生定員が倍増されていった。設置当時は「情報工学」という名前さえ違和感があったとのことで、「工学」の1分野と位置付けて良いのか、というような疑問も投げかけられていたらしい。情報工学科の教員は、電気電子工学系出身者が多かったが、機械系出身の先生もおられた。2015年現在、5大学科の1つとなり、また情報工学科出身の教授も増えている。このように、情報工学という学問分野が徐々に認知され、他の分野と同等の地位を確立していく状況をみると、分野の拡がりはその体系が確立される過程に関わる、あるいはその分野の研究状況に依存することが分かってくる。

 私が属する機械システム工学科・機械知能工学専攻も機械系という枠の中で、普遍的な機械系分野を扱っている訳ではないことが分かってくる。分野の拡がりも時間とともにそれを担うひととともに変化するものであるから、テーマもしかりである。研究テーマの拡がりは、実のところ研究者の頭の中にあるテーマの拡がりに関わっているのだと気づく。研究者が自分で作った壁を取り払えば、拡がりは無限なのかもしれない。

 法人化以降、国立大学は改革を迫られ、研究のさらなる活性化が望まれている。我々の大学でも如何にしてレベルの高い研究を発展させるかに腐心している。大学学内での予算配分を見直し、有望な研究テーマへの研究経費の重点的な配分がなされる。この際、一般市民にも知られるような有望な分野以外の、発展性のあるテーマを設定するためのキーワードが「異分野融合」である。本学でも、このキーワードで学内的な研究助成を行っている。学部間連携を推奨し、当然ながらアウトプットと大型予算獲得の努力が義務付けられている。

 最近、ある賞を受賞された技術者と話す機会があった。受賞の対象となる技術開発のポイントの一つは、良く言われることだが、「常識を疑え」ということだった。通常低融点が常識である材料の組成を変化させて高融点とする。これが開発の突破口となった。ただ、その常識外れを可能にしたのは、周辺技術の進歩であるとのことだった。10年前なら不可能であることが、周辺技術の進歩で可能になる。これがブレークスルーを生む。

 ものの見方について、古くから言われることがある。いろいろな方向からものを見ることによって真実が見えてくる。盲人と象の寓話のように、一面的な見方では物事の本質を見極めることは難しい。研究対象に迫るためには、多面的なアプローチが必須であることは言うまでもない。

 異分野融合、常識を疑え、多面的なアプローチ、これらに共通するのは、ある種の冗長さなのではないか、そう思えてきた。異分野融合では異なる分野の研究者が連携することにより、課題を克服する。一方の研究者が新しい領域に挑むのではなく、両者が協力することにより課題を解決する。それは両者の研究領域の積集合に対し、両者の知識の和集合で挑む冗長性がある。常識を疑う考え方には、当然ながらルーチンワークの否定が前提になる。したがって、これも冗長あるいは非常識に時間を費やす遠回りが必要と言える。多面的なアプローチは、一面的な結論の補強を意味し、一面よりも二面、二面よりも三面と進め、同じ結論を見出す冗長な作業である。

 最近、学生の思考は単純化しているように思う。結論を急ぎ簡単に済ませようとする。マークシート試験に慣れた世代は、文章よりも単語、単語よりもマークでコミュニケーションを取ろうとする。「○○を説明せよ。」という問いに対しても、単語で答える。競争の時代に速さが優先され、ゆっくりじっくり考える時間が与えられない。短時間で正答を導くことのみを目指す教育の結果のように思えてならない。例えば、無限小の区間に分割する微分積分の基礎的な考え方よりも、入試問題の解き方のポイントを重視する。大学に入学したら考え方を変えればいいなどと言っても簡単ではない。研究で重要となる広い視野を持った検討、深く掘り下げられた考察が高く評価されることを望みたい。

 研究の拡がりに話を戻そう。研究の拡がりは、研究者の意識に依存する。また、拡げるためには、ある種の冗長さが必要ではないだろうか。冗長はネガィブな印象を与える言葉かもしれないが、勧めるべき冗長さもある。時間を惜しんで、実験し、データを解析し、考察し、論文をまとめる。これは、もちろん重要だが、たまには「エッセイ」を読む時間の使い方の冗長さも研究の拡がりを持たせるものと信じたい。

 

 
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