軽金属のお話

マグネシウムの歴史

4.日本におけるマグネシウム製造の歩み

 世界的にはマグネシウムの工業的生産は1900年以前から開始されていたようですが、間欠的であり、本格的な生産活動は1915年ころから始まったといえます。わが国では大学の研究室で学術上のマグネシウムを作ったり、第一次世界大戦時(1914-1918)はドイツからの輸入ができなくなって一時的に無水塩化マグネシウムを電解して作ったり、また、1921年に東京でマグネシウム製造工場が操業されましたが、1923年の大震災で閉鎖してしまい、1930年までマグネシウムの生産がされなかったのです。

 本格的なマグネシウムの生産は、財団法人理化学研究所が1929年(昭和4年)の製造工業化の成功をもとに、翌1930年に新潟県柏崎町の同研究所柏崎工業試験所内に関連の試験工場を建設して苦汁を原料としたいわゆる理研法によって操業を開始しました。翌1931年に製品を市場に出してから社名を理研マグネシウム株式会社として独立し、生産規模を拡大していきました。

 一方、当時の時局の要請に応じて新しくマグネシウムの生産に関わる企業が多く現れ、当時の日本領地内に約20か所にマグネシウム製造工場または試験工場が設立されましたが、1945年第2次世界大戦の終焉と共にその活動は停止しました。

 しかしながら、戦後1953年ころにチタン製錬工業が勃興するに伴いクロール法により副生される塩化マグネシウムを溶融塩電解法によってリサイクルさせてマグネシウムを製造する必要が生じてきましたので、1954年に日本曹達がマグネシウム製造の操業を始めました。また、1952年に旭化成は、大阪チタニウム(後に住友シチックスと改称)が回収した塩化マグネシウムを用いて、マグネシウム再生研究に着手しました。さらに、1955年に東邦チタニウムが自家発電炉によるマグネシウムの回収を開始し、1961年には大阪チタニウムが自家製錬を開始しました。

 広範な用途に対応するためのマグネシウムの生産は1952年より開始された本荘亜鉛工業所の成果をうけて1956年に小山市に設立された古河マグネシウムによって開始されました。その工法はピジョン法です。一方、チタン関連のマグネシウム製造企業にはマグネシウム製錬事業から撤退するものもあって1962年の時点では東邦チタニウムと大阪チタニウムの2社のみとなりました。この2社はそれぞれイーゲー法およびアルキャン多極板炉法を操業しておりました。

 その後、1966年に宇部興産が生石灰を用いて海水から抽出した水酸化マグネシウムを原料としてピジョン法によって、また、1988年には日本重化学がマグネティルム法によってそれぞれマグネシウムの製造を開始したのですが、採算性などの諸事情から次々にマグネシウム生産から撤退してしまい、1995年以後は中国などからの輸入に全面的に依存するようになっていました。