一般社団法人 軽金属学会│The Japan Institute of Light Metals

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エッセイ

本音?

平成29年1月1日掲載


土田 孝之
日本軽金属ホールディングス株式会社
常勤監査役

 私は入社以来、常に研究・開発に関連した仕事に携わってきた。その中で、人と人のつながりがいかに重要な意味を持っているか、社内の様々な部署の人々やお客様との協働における様々な場面で感じて来た。様々な思い出があるが、比較的最近のちょっとした経験をきっかけに考えたことを書いてみたい。

 数年前,グループ技術センター長という役職を拝命した直後であったと記憶している。ある機関からの案内で新規ビジネス、商品開発に関して責任を負う立場の人間が十名程度の少人数で集まって意見交換をする集まりの案内を受け取った。それまでも何回かそのような案内は受け取ったことがあったが、なぜか参加を考えたことはなかった。異業種の方々との交流という場面であっても、なかなか自分の会社の実情をあからさまに話すことは憚れたし、今にして思えば、目の前の現実への対応に追われ,余裕もなかったのであろう。ただ、その時はなぜか案内を見てすぐに申し込みをしたように記憶している。何かを変えたいと思っていたことは確かである。

 当日の参加者の名前や所属は、ただ一人を除いて覚えていない。場所も忘れてしまった。討議の内容は先にも述べたように、会社で新規ビジネスをどのように創り出すかであったが、その内容も細かくは思い出せない。ただ、実際、新しいビジネスの種を探すために何をしているかそれぞれの体験を述べ、意見交換をしたことを覚えているだけである。自分にとって,普段は聞くことができない意見に触れることができる意義のある会ではあったが、それ以上に大きかったのはMと再会したことであった。覚えている一人とは,このMのことである。少し遅れて会議室に入って来て離れた席に座った。名札の名前も確認できないような位置関係であったが,すぐにそれと分かった。Mは同じ大学、学科に同期入学で、卒業研究や大学院は別の研究室であったものの,学部から修士課程,博士課程まで同じ時期を,十年以上,ごく近くで過ごした間柄である。しかし,就職を期に私が静岡に移り住んでからは,年賀状の交換は欠かさないものの,直接会って話す機会が途絶えてしまっていた。二十年以上の空白である。その日も挨拶はしたものの,お互い所用が後に控えており,長く話をすることもできなかった。ただ,再会を喜び,同期入学の仲間にも声を掛けて夏に集まろう,という話だけをまとめて別れた。

 Mの尽力で,その年の夏10人ほどが大学のある街の居酒屋に集まった。学部を出てすぐに就職したメンバーとは34年振りの再会である。が,すぐに打ち解けて話ができる。そして,皆の口からでた言葉が「お前,変わらないな!」であった。容貌は全く変わってしまっているし,会社勤めや私生活の様々な経験も含め,環境は大きく変わってしまっているはずなのに。ちょっとした仕草や,言葉使い,考え方の中に,何か変わっていないものを感じて,20年,30年の月日を感じることなく話を交わすことができる。話の内容は当時とは違うものの,話を始めるとすぐに昔の関係に戻ることができた。最近のできごとを聞くと,リストラ,定年再雇用,家族の介護など,結構な苦労もしている。人間関係の悩みを抱えている奴,夢を諦めずに転職しながらもがき続けている奴,それぞれ複雑な事情を抱えている。なのに,すぐに昔の関係に戻れるのはなぜなのだろうか?

 考えてみれば理由は簡単で,このメンバーの間には「何のわだかまりもない」のである。昔お互いに見せあった「本音」だけで付き合えばよいのだ。その「本音の部分」,「変わらない芯の部分」だけを互いに感じるから,20年,30年の空白も問題ないのだと気がついた。人と人とのつき合いにおいて,どれだけ自分をさらけ出して付き合うことができたかが,その後の関係性に大きく影響するのだということを再認識させる出来事であった。

 全く学校に来ずにバイトばかりしている奴もいたし,授業をひとつ残らず受けるようなバカがつくほど真面目な奴もいた。それぞれが,あまり関係が無いように見えてどこかでつながっていた。いつも,「本音」だけで付き合っていたので,再会してもなにも飾る必要はないのである。

 翻って会社ではどうだろうか?お互いの仕事上の損得が大きく影響しあう関係が,とにもかくにも多いのが現実であろう。お客様との関係ではもちろんのこと,社内においても,どのような場面でも,自らの行動が相手に影響し,相手の行動がこちらの仕事の結果を決めてしまう。こうなると,「心に鎧を着た」生活が続き,「本音で!」とは,口では言うものの,なかなかそうはいかない。これがかえって多くの問題の原因を作っているのが実情ではないだろうか?Mを含めた同期入学のメンバーとも,もし社会に出てから出会っていたとしたら,全く違った人間関係になっていたのであろう。社会そのものが「心に鎧を着た」生活を求めているのが現代である。鎧を脱ぎ捨てて,本音でぶつかっていける関係をいかに築けるか,そのような関係になれる人にいつ出会えるのか?待っているだけでは,出会わない。恐れずに,本音の自分を出してぶつかって行く勇気が必要であろう。

 自らの反省も込めて書いた。建前だけで話をする人の気持ちは,心に届かない。若い方たちが,自分をさらけ出して本音でぶつかり合ってくれることに期待している。

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